2017年




ーーー7/4−−− 老眼がもたらした喜び


 この春、運転免許証を更新した。ゴールド免許だから、5年振りである。

 私は、会社を辞めて信州に越してから、運転免許を取った。千葉の生活では、車を運転しなくても不自由は無かったが、信州ではそういうわけには行かない。松本市の教習所に、36歳のときに通い始めた。回りは若者ばかりだったが、中には何度路上検定をやっても不合格になるという年配の女性もいた。私は、年齢の割には飲み込みが早いと言われた。全ての試験を一発で合格した。

 教習所に通っていた頃は、まだ眼鏡をしなくても良かった。しかし、何度目かの免許更新の時に、視力検査で引っかかった。近眼が進んでいたのである。その時から、眼鏡使用が運転の条件となった。これは少々ショックだった。生身の体では、人並みの生活が送れなくなってしまったような気がして、がっかりした。

 私はもともと視力が良く、成人した頃までは両眼とも1.5以上あった。会社勤めに入ってから、徐々に視力が落ち出した。実生活に支障が出るほどではなかったが、念のため眼鏡も作った。しかし眼鏡を使うことはほとんど無く、机の引き出しの中にしまったままになっていることが多かった。

 眼鏡が運転の条件になり、それまで出番がほとんど無かった眼鏡が、にわかに重要なアイテムにのし上がった。とにかく、眼鏡が無ければ運転が出来ないのである。いや、できないと言うより、してはいけないと言うべきか。視力はボーダーラインぎりぎりだったから、実質的には眼鏡が無くても運転できない事はない。しかし、法に触れる事はしたくないので、車に乗る時は必ず眼鏡を着用した。うっかり眼鏡無しで自宅を出、途中で気が付いて取りに戻った事もあった。

 ここ数年、老眼が進んで、近くのものが見難くなった。初めのうちは、新聞などの小さい字が、ちょっと読みづらくなったな、という程度だったが、最近は老眼鏡無しでは全く用が済まない場合もある。だから、外出する時も、老眼鏡を持ち歩くようになった。なんだか情けない気もするが、年齢が増しているのだから、これも仕方の無い事だろう。

 老眼が進んだ一方、近眼は緩和する傾向になった。プラスマイナスのバランスが作用しているのか。そのおかげで、先日の免許更新では、視力検査をパスした。眼鏡使用の条件が外されたのである。これは嬉しかった。もう、眼鏡の心配をしなくて済むのである。車のドアを開けて運転席に座る時に、いつも気にしなければならなかった事が消え去った。元々さして必要も無いことを強いられていたのだから、これは大きな喜びであった。

 年齢が進んだために、有利な方に変化することもあるのだ。もっとも、近眼鏡を所持しなくて良い反面、老眼鏡は手放せなくなったのだから、プラスマイナスはゼロということか。

 


ーーー7/11−−− 老人の一人喋り


 
周囲の人を見て、最近とみに感じるのだが、歳をとると人はもっぱら自分の意見を述べたがるようになる。それが一方的で、押し付けがましく、時に情熱的とも言える熱心さで喋り倒し、聞いている方はうんざりする。

何故そのような傾向に陥るのだろうかと原因を探るのは、自分がそうなりたくないからである。歳を取っても、他人にとって迷惑な存在になるのは嫌だし、できれば他人の気持ちに寄り添い、穏やかに意見を交換し、豊かな交流の時間を持ちたいと願う。

 一方的に自説を述べたがる理由の一つは、自分の存在をアピールし、影響力を誇示したいとう願望だと思う。歳を取るということは、次第に消え行くということだから、それに対する不安や寂しさから、そのような行為に走るのであろう。しかしそれは、自己の思いを満足させたいだけの行為であり、望むような成果が周囲に対して得られるかと言えば、逆である。誇示できる存在感は、迷惑な人としてのレッテルでしかない。

 一方的に喋る人の特徴は、他人の話を聞かないことである。他人の話を聞かないという姿勢には、二段階ある。一つは他人の話を理解しようとしない段階、もう一つは、話を聞こうともしない段階。当然後者の方が他人に与える不快感は大きいが、実質的には大同小異である。何故話を聞かないのか。その原因は、他人の意見や思いに身を寄せ、共有するという意欲の欠如であり、言い換えれば好奇心あるいはイマジネーションの不足である。歳を取ると、そういう方面の脳の機能が衰えるのだろうか。

 とまあ、こんな事をくどくど書くのも、自説に固執する年寄りのたわ言と取られようか。





ーーー7/18−−− ゴールを目指すだけの生き方


 体力トレーニングのために裏山に登っていることは、以前にも記事にした。今シーズンも、春先から何度も裏山に通った。その裏山登りに関して、最近ちょっと心境の変化があった。

 登るときは、ストップウォッチでタイムを計る。そして家に戻ると、それをノートに記録する。体力トレーニングだから、そのような事は当然である。過去のタイムと見比べながら、現時点の体力を判断する。本番の山登りの際には、そのデータが役に立つ。もっともその本番の山登りは、さいきんご無沙汰ぎみだが。

 タイムを計っているので、目一杯の速度で歩くというのが、これまでのパターンだった。呼吸が辛く、筋肉もバテバテで、血の気が引くような感覚になり、途中で投げ出したくなる登坂。それでもなんとか、頂上まで頑張る。完全に体力を使い果たし、頂上に着くと地面にへたり込む。こんなに無理をしたら、却って体に悪いのではないかと感じるほどである。しかし、トレーニングとはこういうものだと、自分に言い聞かせて頑張るのだった。

 登っている最中は、辛いばかりで、楽しくもなんともない。ただ、一秒でも早く頂上に着き、ラクになりたいという一心で、歯を食いしばって足を前に出すのである。

 昨年辺りから、取り組みがちょっとマイルドになった。以前ほど目一杯の頑張りはしなくなった。加齢とともに体力が落ちて、無理が利かなくなったせいかも知れない。精神的に衰え、頑張る意欲が萎えてしまったこともあるだろう。相変わらずタイムは計るが、以前ほどそれにこだわらなくなった。そこそこペースは上げるが、目一杯まではやらない。頂上でタイムを確認し、少々悪くても、まあこんなものかと見流す。

 今年になって、さらに心境の変化があった。頂上に着くことだけを楽しみに登り、それまでのプロセスは苦痛のみ、というパターンが、馬鹿らしく思えてきたのである。そこから導かれた一般論は、結果のために現在を犠牲にすることへの疑問であった。

 どうも結果重視型とも言うべき行動パターンが、これまでの人生の大勢を占めていたように思う。その芽生えは、たぶん学校教育だろう。テストで良い点を取らなければ、評価されない。それから受験勉強。合格という結果を目指して、すべてが飲み込まれる。さらに学生時代の山岳部。山頂に(終了点に)到達したときの達成感だけがモチベーションである。

 ついでに言うなら、登山行動はつねに時間勝負である。歩くことはもとより、休憩も食事も排便も、短時間で済ませる事が要求される。ゆっくり楽しむという概念は無い。だから山岳部OBは、老人になっても、食べるのが異常に早く、酒を飲むペースも早い。

 そして会社勤め。これはもう結果だけの世界である。仕事の内容が楽しめるかどうかなど、口にすることすら憚られる。そして結果としての賃金。それだけがモチベーションであった。

 以上述べた人生の遍歴がすべて悪いと言うつもりは無い。それら全ての上に現在があり、その現在にさしたる不満も無いのだから、むしろわが身を厳しく導き、鍛えてくれた事に感謝をすべきかとも思う。それに、一心不乱に脇目もふらず過ごした日々が、今となっては妙に懐かしく、また美しく思い出されることもある。しかしまあ、それは結果論である。

 結果の喜びをイメージして、現在の状況を我慢し、耐える。ゴールの瞬間を思い描いて、今の辛い時間が早く過ぎる事を願う。しかして、最終的なゴールは何であるか?結末に至る過程が早く過ぎ去って欲しいと願うことは、人生の無駄使いではないか?ゴールの褒美がどれほど大きくても、あの世まで持って行くことはできない。

 大切なのは、現在「在る」ということを感じ、それを価値あるものとして心に留めることではないか。価値のあり場所を将来に置くのではなく、現在に求めるということだ。そのためには、日常のごく小さな事にでも、喜びや幸せを感じることが大切なのではなかろうかと、最近は思う。

 これは、心の持ち方の問題である。辛い精進を重ねていても、ニコニコしている人もいる。そういう人は、結果を求めながらも、現在の幸せを感じる心を持っているのだろう。あるいは、現在が楽しくなければ、結果は付いてこないという達観かも知れない。そういうふうになりたいものだと思う。長い年月の間に形成された心の性癖というものは、なかなか簡単には変えられないだろうが、私に残された時間は、もはや無駄使いが許されるほど長くはない。




ーーー7/25ーーー 笠取小屋の思い出


 テレビの百名山番組で、笠取山を取り上げていた。私は1976年の5月に、単独で奥秩父主脈縦走を行ったことがある。その時、笠取山を通過した。笠取小屋にも立ち寄った。番組の中に出てきた笠取小屋は、当時と比べるとずいぶん開けたロケーションに有り、建物も現代的になっていた。月並みな言葉を使えば、隔世の感があった。

 私の記憶に残る笠取小屋は、鬱蒼とした林の中にひっそりと佇む、掘っ立て小屋のような平屋だった。中に入ると土間に薪ストーブがあり、土間から奥に延びる通路の両側に、一段高い板の間が続いていた。その時代の山小屋の、一つの典型的なスタイルであった。

 私が小屋の前にさしかかった時、だいぶ前から降り続いていた雨で、体がじっとりと濡れて寒かった。普段は山小屋に入ることなどしない私だったが、その時はさすがに意気消沈していて、小屋で一休みする気になった。入り口をくぐって中に入ると、薄暗い室内に大勢の登山者がいた。若者が多かった。ワンダーフォーゲルとおぼしき女子の集団もいた。時間から言って、宿泊客ではなかろう。雨やどりのために入っている人々と思われた。

 小屋番の若い男が、ストーブで沸いた湯を注いで茶を入れ、客に出していた。私のところにも、湯気が立つ茶碗が回ってきた。注文したわけではないが、頂いた。冷えた体に、熱いお茶が有り難かった。

 しばらく休んだ後、私は席を立って、「出発するのでお茶代を払いたい」と小屋番に告げた。すると彼は「そんなもの要りません」と言った。壁にはお茶の料金を書いた張り紙がある。たいした金額ではないが、有料なのである。私が「有料なんでしょうから、払いますよ」と言うと、小屋番はちょっと迷惑そうな顔をした。そして「お茶なんか飲まなかったことにすればいいじゃないですか」と言った。その不器用な言い方が、印象に残った。

 彼としては、雨に濡れた登山者をもてなす、自発的なサービスだったのだろう。あるいは、困っている人たちに、少しでも手を差し伸べてやりたいという、献身的な思いだったのか。ともあれ、人里離れた山奥の、霧に閉ざされた山小屋の中で経験した、お世辞にもスマートとは言えないが、ほんわりと心が温まるような出来事であった。





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